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松代編

今は県外には出ない方が良い状況なので今回は北信の歴史の街「松代」に行って来ました。現在は長野市松代ですが平成の大合併までは松代町と言う独立行政でした。松代の周辺には古代から歴史があり、少し東に大室古墳群南に森将軍塚あります。まずは松代に入る手前の森将軍塚に寄ってみました。山の中腹に見えます、今から約1,600年前のこの地方一番の豪族の古墳で麓には復元された竪穴式住居群があります。詳しく知りたい方は資料館や博物館があるのでご来館を。

麓の専用駐車場に車を停めて木立の中、森林浴をしながら約20分位登ると。

森将軍塚です発掘・復元されたもので、この時代この地域では1番の大きい。

ここからの眺めはとても良くて遠くに長野市・戸隠連邦・北アルプス等が見え右端に有名な松代妻女山の一部見えます。妻女山の向こうが松代です。また眼下にある建物が資料館で木立の陰に博物館と竪穴式住居があります。公園のようになっていて家族連れが多いです。

では松代町へ。

松代と言えばまずは松代城(海津城)。正面の太鼓門で1560年頃の築造らしい?関ヶ原の40年前です。この頃武田・上杉の攻防がこの地で数回ほどあり有名なのは「川中島の合戦」で実際の合戦場も公園になって居ます。(車で5分位)

写真の石垣と門は発掘・復元されたもので本丸などの建物はありません。

門のすぐ目の前には長野電鉄の旧河東線旧松代駅舎が残っています。

当然、線路は撤去されホームのみ。昔は栄華であったと思いますが今は閑散。さて松代町の中を歩いてみましょう。

松代町には昔の武士の家の名残が沢山あります。

まずは矢沢家の表門です。

矢沢家は代々松代藩の筆頭家老をしておりこれは藩主の次のNO2の地位なので門構えの一番すごいです。

次は中級武士の樋口家の門構えと萱葺の家。

よく見ると萱葺の上にサギが居ます。

家の中も見学ができ無料です。

ここは松代藩の文武学校。

武士の子息の学校です。

中流武士の白井家そのほか歩いていると何軒もあります。この辺はお城を囲うように武士たちの家があります。

少し離れた西条地区の中流武士の家並みです。相対する東条地区にも武家屋敷がありますので後ほど。

西条地区には他に佐久間象山神社と隣に生家跡があります。

佐久間象山は良く知らない人もいると思いますが(私もです)、象山塾には吉田松陰・勝海舟・坂本竜馬と言った面々が門下生としていたそうです。

ただ少し変わったところのある天才肌の学者だったようです。

また、この西条地区には太平洋戦争末期に掘られた防空壕あり今でも中に入れます。象山・舞鶴山・皆神山の3ヶ所あり特に舞鶴山は天皇家が疎開する為の仮皇居(現在の地震観測所)があったそうです。

蛇足ですが私の母方の祖母の実家がその前にあるお寺出身なので母は終戦の時に中を見学したそうです。

もう一つ蛇足ですが、軍人栗林忠道中将を知っていますか?西条出身の陸軍将校。硫黄島玉砕の総司令官で、「硫黄島からの手紙」の主人公で渡辺謙が演じた人です。

その頃の時代背景の中では正義感が強く自分の考えを持った軍人で頭脳明晰、海外からも有能な司令官と評価された人物です。壕は何キロにも及びます。

さて東条地区に行ってみます。ここにも武家屋敷がありこれは旧前島家です。

家の中にも入れます。ここもそうですがほとんどの所は無料です。

これは松代鐘楼。火の見櫓の役割と一刻毎の時刻を知らせた鐘です。江戸時代末期に、佐久間象山が日本で初めて電信実験をしたと言われています。

現代の絵に戻りここがメインストリートです。今日は少しいつもより多く歩いてしまいました。

約12kmです。

足も疲れたのでいつものように温泉に行きます。(車で5分位)

今日の温泉は松代荘。国民宿舎となっていますので宿泊客もいます。

料金は600円と少しお高めですが源泉かけ流しで鉄分が多い黄褐色の良いお湯です。

但し、タオルは浸けると黄色くなります。また、湯上りに体をお湯(水道)で流さないと下着も黄色くなります。